一昨年前19歳の若さで天国に召されたケ・セラのメンバー
中村俊晴くんの妹さんの早希さんが書いた作文をご紹介します。
この作文は22年度全国中学生人権作文コンテスト松本地区大会において
「最優秀賞」を、また、長野県大会において特別賞の「信濃毎日新聞賞」を
受賞されました。
私のお兄ちゃん   松本市立松島中学校 三年 中村 早希

私には今年成人式を迎えるはずだった兄がいました。
昨年十一月、急な病気で兄は亡くなってしまいました。
前日まで元気に会社に仕事に行っていました。
毎朝時計のように決まった時間にリュックを背負って仕事に出掛け、
夕方になると、よくコンビニの買い物袋を手に帰ってきました。
袋の中には、兄が働いたお金で買った、パンやお菓子など、
私と姉や母へのお土産が入っていました。人を喜ばせるのが好きで、
自分より人のことを先に考えている、そんな兄でした。几帳面で、
きれい好きな性格で、私や姉はよく兄に世話を焼かれていました。

兄には聴覚障害と知的な障害がありました。
小さい頃から両耳に補聴器を着けていました。初めはなかなか言葉がしゃべれなくて、
苦労して言葉の練習をしたそうで、大きくなってからは、耳のことを忘れてしまうほど
よくしゃべりました。新しいことがすぐには覚えられなかったり、
普通の人が簡単に出来ることが、なかなかできなかったりしましたが、
その分、人より頑張って練習したり、やり方を工夫したりしたのだそうです。
中学部、高等部をろう学校で過ごした兄は、
障害者が就職するための職業訓練所を出て、一般就労をしました。
兄は耳が悪いのに、とても頑張って練習して、バイオリンも弾けるようになりました。
亡くなるまでの二年間は、ケ・セラという音楽を通じて自立を目指す若者たちの楽団の
一員として演奏活動を楽しんでいました。

そんな兄のことで私にはひとつだけ悲しい思い出があります。
それは私が小学校四年生のときのことです。
ある日私は学校で、私が名前も知らないような六年生の女の子から、
「あんたのお兄ちゃんガイジでしょ」と言われたのです。
「ガイジ…?」私はその時何を言われたのか、一瞬わかりませんでした。
家に帰ってその話をすると、当時中学生だった姉が、中学では障害があって
オープン学級に通っているような友達のことを馬鹿にして、「ガイジ」と言ったり、
困ったいたずらなどをするような友達を「お前、ガイジじゃん」などと言っている人がいる、
と教えてくれました。障害児だから「ガイジ」なんて失礼な言葉でしょう。
私は小学校の担任の先生と話して、六年生の先生とも話してもらって、
その人は私に謝ってくれました。けれどもそのことは私の心の中にずっと残っています。
その人は、中学生が言っているのを聞いて真似して言ってしまった、
というようなことを話していたそうです。言った人は、軽い気持ちで、あるいは
面白半分に言ったことかもしれませんが、言われたほうは心の中にそのことが
ずっと残ってしまうことがあると思います。

兄には確かに障害がありましたが、そのことで誰かに迷惑をかけたのでしょうか。
害を与えたのでしょうか。確かに障害があると不便なことは多く、なければラクなのにと
思うことも正直あります。けれども兄は自分の障害のことで、不満を言ったり、
いじけたりということは一度もなかったそうです。
いつでも前向きに頑張っている姿にむしろ周りの私たちが元気をもらっていたのです。

兄と一緒に家族で出掛けると、行く先々で周りの人が、
兄が耳に着けている補聴器をじろじろとめずらしそうに見てくるのでした。
兄はそんなことは気にしていないようでしたが、私も姉もそんなとき、
とてもいやな気持ちになりました。確かに補聴器をしている子供は珍しいし、
もしかしたらその人たちは補聴器自体見たことがなかったのかもしれません。
だからといって、じろじろ見られたらどんな気持ちになるのか、
相手の気持ちを考えられる人に私はなりたいと思います。

障害者のことを、「障がい者」と害の字をひらがなにしようという考え方もあるそうです。
けれども、書き方をどう変えたとしても、私たちの心の中に、自分たちとは
違うところがある人たちを、馬鹿にしたり、排除したりする気持ちがあるかぎり、
その人たちに対して心の中で壁を作っていることに変わりはないと思います。

俊晴くんのご家族は本当に素晴らしいんです。
二人の妹さんは常にお兄ちゃんのことを思い、俊晴くんはいつも妹さんたちの
ことを心配していました。
ご両親からも愛情をたっぷり注がれ、俊晴くんのあの笑顔や心の温かさは
家族みんなに愛され、大事にされていたからこそなんだなあとあらためて思います。

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